当院のご案内
瑞江駅前接骨院の理念
『 東洋医学の技術、伝統、思想に基づき
患者様への施術を通じて地域医療に貢献します 』
先人の方々から脈々と受け継がれてきた東洋医学の力で、地域の皆様の健康を支えていきます。施術を通じて地域医療に貢献し、併せて東洋医学の発展と継続に寄与してまいります。患者さまの”患”という字は「心」に「串」が刺さっています。その串を我々が取ってあげられたら幸せです。
瑞江駅前接骨院院長
院内風景
スタッフのご紹介
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全部No.1!
- 牛間木 壮一朗(うしまぎ そういちろう)
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出身地:東京都江戸川区
血液型:A型
趣味・特技:カレー巡り - 地域のみなさまへ小さい頃憧れた先生目指して成長中です!長い間悩んでいる身体の痛みや不調だけでなく、日々の悩みや嫌なことなど、どんなことでも相談、解決していきますので、是非お越しください!
施術家になるまでの自分まず自分が施術家になろうと思ったきっかけになったのは、自分自身の怪我によるものが1番の理由になります。 小学生から中学生までの9年間空手を習っていたり、放課後に外でサッカーや鬼ごっこなどをしたりして走り回っていたり、高校ではバレーボールをやったりと、学生時代の自分は年中身体を動かして遊んでいました。 その時に怪我をすることが多く、特に捻挫ばかりして、何度も整骨院に駆け込んでいました。整骨院の先生はいつも優しく、幼かった自分と施術してもらう以外の時でも仲良くしてくださいました。 たくさんの怪我をして何回も整骨院にお世話になっていくうちに、施術して頂いた先生のように自分も人の役に立ちたい、怪我をしている人を助けたい、という気持ちが強くなり、将来自分も整骨院の先生になって小さい子から大人の方まで色んな人の力になろう思い始めました。 そして高校3年で進路を考える時に、親や学校の先生と相談をして整骨院の先生になるために、柔道整復師の大学に通うことを決めました。 大学を無事に卒業し、こうして整骨院の先生になれて働けていますが、小さい頃にお世話になった先生のように、心優しくたくさんの患者様から愛されるような先生になれるように、常に努力していきます。
新人・修行時代の自分無事に大学を卒業し、憧れの先生を目指して施術家となった1年目は、実際の現場(整骨院)での研修と会社の本社での技術と知識を学ぶ本社研修の2つを同時に行っていき、知識と経験を積んでいきました。 社会人として、1人の整骨院の先生として頑張っていこうと意気込んでいたものの、自分が大人しく積極性のない性格というのもあり、患者様とのコミュニケーションがなかなかうまく取れずに世間話すらも出来ない日々が続いてしまいました。 そんな時に、コミュニケーションが苦手でも患者様と仲良くなることが出来なければ、患者様の悩みを解決することも出来ないし、患者様から見たら君も先生なんだからしっかりしなさいと院長に厳しく言って頂いてからは、1年目だからといっていつまでも自分は新人であると思い込んではいけないと気付くことが出来ました。 そこからは施術中に患者様とのコミュニケーションを多く取るようにし、施術に入ることがなくても接点や興味を持つように心がけました。 患者様1人1人に様々な症状があり、悩みがあってご来院されるため、患者様のことを1番に考えて、身体だけでなく心もケアしていけるような先生になれるよう日々の努力を惜しまず成長していきます。
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明るく元気な院
- 太田 凌平(おおた りょうへい)
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出身地:東京都墨田区
血液型:A型
趣味・特技:サウナ、野球観戦
資格:柔道整復師 - 地域のみなさまへ日々仕事や生活をしていく中でお体の悩みや問題を抱えながら過ごしている人が大半です。「痛くなったらでいいや」「まだ大丈夫」と思っていると手遅れになってしまうこともあります。そうならない様に我々が居ますので些細なお悩みでも良いので勇気を出してご来院ください。
施術家になるまでの自分自分の小さい頃は両親が共働きという事もあり小学校終わりには毎日学童へ行き遊んでいました。その際、一緒に遊んでいた友達が野球をしているのをみて自分も混ぜてもらい初めて野球をやりました。そこから野球が好きになり毎日学童で野球をやるのが日課になっていました。そして小学校3年生の時に少年野球を始めました。 小学校5年生の時に学校の休み時間に遊んでいる最中に転び、右足の太ももの骨を骨折してしまい病院に入院することになりました。 約1ヶ月半入院しリハビリも行っておりましたが、母親が接骨院に通っていたのをキッカケにリハビリも病院ではなく接骨院で受けるようになりました。その時に初めて「接骨院」という場所を知りました。 そこから中学生になり野球も続けていましたが、肩や肘など体のどこかが痛くなると接骨院へ通院するようになり体のケアやストレッチ方法なども先生に教えて頂きました。 高校生になり、将来のなりたい自分を考えた時に接骨院の先生になって地域の方のお体のお悩みや痛みを取りたい、部活動やスポーツをしている子どもたちのサポートや予防、コンディショニングを学びたいという気持ちが強くあったためこの業界を目指すことになりました。
新人・修行時代の自分新人時代はありがたいことに当時会社で1番の院へ配属することが出来ました。 毎日約100人の患者様が来る院で働かせてもらい、もちろん大変なことも多かったですが楽しさややりがいの方が大きかったです。会社では患者様がご来院したさい名前を呼んで挨拶することがルールとなっています。覚えるのが苦手だった自分はメモ帳に患者様を覚える為にその人の特徴や出身地、趣味などを沢山書いて覚えるようにしていました。 初めて患者様の治療に入る事になった時緊張して5月なのに汗をかきながら治療をしたのを今でも覚えています。治療が終わった後に患者様から「もうちょっと強い方が良かったかな」と言われてしまい落ち込んだのと同時に悔しさもありそこから更に練習をするようになりました。毎朝集合時間より早く来て同期と練習をしたり、空いた時間があれば先輩に声を掛けてチェックしてもらっていました。当時の院長先生に「先輩や上司を上手く使いなさい」と言われたのが印象的で今でも後輩指導をする際には同じことを後輩に伝えています。 少しづつ慣れてきた時に院長先生から「指示出しやってみるか」と言われ初めて指示出しをやらせてもらいました。その日が今までで1番頭と体を使ったので疲れました。そこから指示出しをする楽しさややりがいを見つけ先輩にアドバイスやフィードバックをもらいながら上達していきました。先輩に教わったとこを後輩に伝え患者様の健康のお役立ちをしたいと思って今も仕事に励んでいます。
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優しく面白味のある院
- 吉田 真菜(よしだ まな)
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出身地:宮城県大崎市
血液型:A型
趣味・特技:アニメ鑑賞
資格:柔道整復師 - 地域のみなさまへ1人でも多くの患者様に元気と癒しを届ける最高の空間です。1人で抱え込まずなんでも相談してください!私達も精一杯頑張りますので一緒にこの地域を盛り上げていきましょう!
施術家になるまでの自分私は小学生の頃からマーチングバンドをやっていました。動くことが好きだったので友達と遊ぶのも外で遊び小学生にしてはだいぶやんちゃをしていたと思います。なかなかハードな生活を送っていて自分の腰に違和感があることがたびだびあり、小学生で地元の整骨院に通い始めました。 整骨院は病院とは違い少し近寄り難さがあり怖かったのですが、通っていた先生が小学生の自分にわかりやすいく説明してくれると共にとても優しく面白く楽しく安心して通うことができました。しかしまだ小学生だったこともあり将来の夢が変わってしまいました。特に私は夢をすごく見がちなので色々な職業に憧れがあり、中学生の時も高校生の時も将来は全然違いました。転機がおきたのは高校2年の時に祖母がぎっくり腰をして整骨院に一緒に行った時です。久しぶりに行くその整骨院は小学生以来あまり通っていなかったのに院の先生たちは私のことを覚えていてくれて、嬉しかったのを覚えています。祖母と一緒に体の状態を見て下さりどこが痛いなど伝えたら昔みたいに優しく丁寧に教えてくれたのがすごく感動的でした。自分もこんな風に地域の皆さんから信頼出来る先生になりたいと思い、施術家を目指したいと思いました。
新人・修行時代の自分私は最初は人見知りを発症しますが、仲良くなればなるほどおしゃべりがとまらない性格をしています。研修の時もすぐに友達を作り飲み会にも積極的に参加し親睦を深めていきました。ただメンタルが弱い部分があり、周りができているのに自分ができていないことに焦りを感じ失敗も沢山してきました。そんな時に励まされたのが同期と先輩たちでした。誰しも初めから全てができる訳では無いよと相談にのってもらったり、同期と練習をいっぱいしていまは少しですが自分に自信が持てるようになったと思います。私は人より覚えるのが苦手なので技術面では練習はもちろんのこと、接遇面や患者様に顔と名前を覚えて貰えるように積極的に行動していたと思います。配属先では同期がどんどん成長するのに対して私はゆっくりではありましたが患者様にも名前を覚えて貰えて「吉田先生がいると元気になるよ」と嬉しい言葉をいただき、裏で少し泣いていたのを今でも覚えています。そんな経験もあり今では率先して行動ができ技術面でも先輩スタッフにも任せてもらえるようになりました。まだまだ力不足ではある部分はありますが、自分一人では出来ないことも周りの先輩や同期たちのおかげで今があると思います。初心を忘れることなく今後もいっぱい成長していきたいです。